老後 遺言書4995
「国谷降板」
私にとって「国谷降板」は政治の破綻か日本の破綻であった。それだけ国谷氏の力を買っていた。国谷氏の眼力で選択されていたと思うクロ現のその日の命題私には解釈が少し難解であったが視聴するたびに納得させられた。それぞれが日本にとって大切な問題であることを。私の国谷氏の命題選びに対する感情は孤高の命題であるとしていた。孤高と言うのは普通の問題意識とことなるというところ。問題の切口の違いか。私たちの周りはだいたい三流が存在している。三流の視点が私たちの周りの物の見方。国谷氏は底から一皮剝けた視点がある。三流と言えば安部、菅、岸田であるが彼らの視点と一皮剥けた視点を感じたのである。問題のより上等な扱い方と言える。国谷氏降板に関しては菅との確執が言われていた。国谷氏とクロ現で論議して格違いの視点に怒気を発したのが菅であると言ったような世評があったが私はこれを事実であると思考した。菅の三流などが対等に論議できる域に達していない。三流にはいかにしても到達できない極致がある。その後は安部菅の政治に万巻残っている。「台湾の有事は日本の有事」は短絡。【国谷氏はこれを更に思考して必ず戦争にならない道を見つけるだろう】。菅など足元にも及ばない思考が国谷氏にはある。
国谷氏と安部、菅、岸田の違いは思考の深度であると推測している。いかにも安部、菅、岸田の思考は浅いのである。考えられないという事はどうしようもなくそれぞれの質に根差したもので安部の程度、菅の程度、岸田の程度で思考の深度が決まっている。安部菅、岸田の時代思考の浅い政策が実に多かったことが総括で見えてくるだろう。安部が嘘つきで有名なのは思考の浅いところを嘘でごまかすからである。菅は安部と少し違って自分の悪を人の見えないところで実行する姑息な所があるが菅の悪は膨大な数政治の世界に残っている。岸田の原発回帰という政策を見れば岸田の思考の浅さが一目瞭然。まず原発の処理水の始末をつけてから原発回帰という政策を決定発表しろよ。日本で一度も廃炉に成功していないのに原発の新規建設などほとんど思考の後がない。国谷氏の思考が日本には必要だった。【国谷氏を降板させたのは菅の思考停止であったのだろう】

~思考力が三流の三人 三流の菅が国谷氏を降板させたと言われる~
「凡人が私にとって偉大な国谷氏を降板させた」

世の中に大人の思考というものがある。ある程度大人の思考も日本にはあるのだろう。コロナ対策の失敗を度々見て国民は安部、菅、岸田の政治に失望しただろう。毎回言われていた医療危機は人の思考でどうにかなっただろう。政府に大人がいなかったのか失敗が続いた。まず彼らの言葉を信用しなくなった。気味悪く軍国主義の発言が多くなった岸田が言う「日本の国民の背名財産を守る」を信じる国民がどれだけいるか。おそらく今岸田内閣を支持している3割台の国民だろう。国葬反対は過半数だった。岸田に反対はいつも過半数。岸田の政策は常に過半数の反対がある。それを実行してしまう岸田の蛮勇だけは評価しなくてはならない。畝に過半数の反対である政策を実行する気持ちを考えただけで私など萎えてしまう。【国谷氏の思考力が懐かしい】
真っ当な思考があればそれが個人でも社会を潤すことが出来る。国谷氏の思考が生きていれば岸田の無残な原発回帰の政策は出て来なかった。底辺でも世間に出られる安部菅の時代三流の時代であるから岸田の恥ずかしい原発回帰などの政策が世間に出られる。使えない政策を世の中が許容するほど世の中混乱している。何より岸田の旧統一協会への接近が問題だろう。荻生田と岸田は一蓮托生綿密に協力して日本の政治をしている。壺議員は全て辞任。【壺議員は日本の敵】
安部賛歌百四十三節九章
【国谷氏はこれを更に思考して必ず戦争にならない道を見つけるだろう】
【国谷氏を降板させたのは菅の思考停止であったのだろう】
【国谷氏の思考力が懐かしい】
【壺議員は日本の敵】
(黙)老後党員募集