老後 遺言書5069

老後 遺言書5069

「私は全く世間と別な世界に住んでいるのか」

この様に考える時が最近増えた。真っ先に荻生田のことを考える。この男世間でも評価が固定して世間でも持て囃されているわけでは無いよう。数々の報道で荻生田は統一協会の信者で統一協会の犯した全ての犯罪者の主犯であるという評価もあるはず。安部が死んだあとは荻生田が壺議員統一教会系の国会議員の中の主犯。日本の家庭の多くを破壊したのだから売国奴。日本の道を歩くさえどこからか石が跳んでくる人である。山上氏のような人が居たら銃殺にされる。考えてみると山上氏は実に適切な人を銃殺したものである。日韓を問わず銃殺するなら安部以外の人はいない。報復の正当性の面から山上氏のテロを考える人が居てもいいではないか。報復が一番正当な言葉だろう。人の世の中殺したくなるような人物がいるだろう。【私など愛している妻を散散蹂躙した間男は殺してもいいという法律が出来るなら賛成するかもしれない】

岸田と荻生田は懇ろに日本の政治をしている。人の行いで常識と言ったら首相が行う事が日本の常識になるのだろう。岸田はたまたま今日本の首相であるので岸田の行為が常識となり世間でも通用する。そうなると荻生田が道を歩いていても石を投げられないのは岸田の抑制があるからという事になる。この抑制が日本国中に張り巡らされて30年統一協会の犯罪が自由に行われていた。日本の警察、検察を抑えたのが自民党と言われる日本の政党である。自民党は統一協会の犯した犯罪の全ての責任を負っている。この責任を曖昧にぼや比しているかしているのが自民党である。ぼやかしているから荻生田は日本を歩き回れる。ぼやかしだけで今の日本の政府は権威、権力を持っている。政府の権威、権力は実に脆い。こういう目で日本を見ている私は時々日本で私だけが見ている風景が違うのかと孤独感を感じることが有る。ところが岸田内閣の支持の数何千万もの私と共通する国民がいる。【安部の国葬に参加者国民の三分の一、ここにも数千万の私と共通意識をみることが出来る】

岸田と壺議員のねんごろな政治に目を剝かないか。犯罪者と政治家が日本の政治をやっている。この違和感が私の日常である。「私は全く世間と別な世界に住んでいるのか」と思いたくなるだろう私のストレスを感じて欲しい。その上衆院議長が統一協会員。度重なる報道でこの事実は確定。下村は名称変更をして統一協会が別の天地で自由に犯罪を続けるようにした。下村の罪科は破壊される日本御家庭の数から見ても死刑であってもいい。世間に犯罪を認定されながら下村はまだ名称変更の事実を拒否している。この間合いが壺議員全てに言える。根拠はただ曖昧だけ。曖昧なだけの根拠で荻生田、細田、下村、山際は政界を歩き回っている。犯罪者が平然と歩きまわっているだけで国民のストレスになる。ストレスの多い時代であることは後世歴史に書かれるだろう。ストレスを作っているのが岸田。【岸田の息子の件国民のストレスなっただろう】

岸田文雄 に対する画像結果

~日本の国民のストレスを作る男 一つとして国民を癒すことをしない~

「国民を癒す能力が一片もない」

平気で息を吸っている世界が異次元の世界になるのが安部、菅、岸田の10年。素早く世間は違う時代に移行する。ストレスの政治を強要させられる。昔懐かしい事実がどんどん壊される。私は岸田の原発回帰の政策は異次元の政策だと見ている。処理水の処置だけで世界に巨大な問題を起こさせる予兆がするだろう。能力のない首相の問題感覚である。この問題はどのように進みどのような結論になるのだろうを読み取るのが政治家だろう。広がりが実に曲者、環境問題として世界の問題になりそうな感じがする。岸田の感覚は極めて質が悪い。問題えお解決する方でなく問題を取り込んだ自ら方向を無くしている。こういう政治家は短命であるはずである。岸田は自民党と一緒に統一協会の責任を取って日本から消えて欲しい。自民途の崩壊という地滑り的な変化が起きるような予感がする。統一協会の責任でかくも一驚を誇っていた自民党が倒れる。私が生きているうちに見たかった景色である。【随分多数の利権の間口が変わるだろう】利権の間口が変わるだけで自民党的なものは残る。自民党的が完全に払拭したところで日本の再建が始まるはず。

安部賛歌百五十一節四章

【私など愛している妻を散散蹂躙した間男は殺してもいいという法律が出来るなら賛成するかもしれない】

【安部の国葬に参加者国民の三分の一、ここにも数千万の私と共通意識をみることが出来る】

【岸田の息子の件国民のストレスなっただろう】

【随分多数の利権の間口が変わるだろう】

(黙)老後党員募集

コメントを残す