老後 遺言書5330

現代の老後 遺言書5330

「『変わろう、変えよう』女性の働きやすさ、日本は29か国中27位 英紙エコノミスト 毎日新聞」

日本の政界に女性が適切な数でそろっていないから政治が出来ないほど混乱している。状態、事態を連続維持することなど女性の特技であると思うのである。今は岸田首相の元日本の人権世界順番最悪と言う位置が珍しくなくなった。むろん岸田は足りない人であるが政界にまともな女がいないことは政界が片肺不足があるのではないか。一般の女性についても本日の朝日新聞の一面を見ると「単身の高齢女性4割貧困」、「男性より14ポイント高く貧困」「武器持たぬ女性いつも犠牲に」(国連女性機関 前事務総長)「20代から男女賃金差」「本社分析 全産業年代が進むと拡大」と多くの女性に関する実態が報道されていた。本日は世界的に女性のための日であるそうだからだろう。国際女性デーを祝おうとする日である。これは私の生活の片隅で常に考えていることである。日本は堂々と男尊女卑をする大人がいる国である。そういう人間に私は批判的な対応をする、馬鹿にしている。大体私が女性の権利に気持ちを持っていくのは日々の生活に明日の希望が無いからである。女性の権利の平等は国民的にも可能性が高く自分の気持ちがかなえられる可能性がある。期待したらかなえられたいと思うだろう。あと少しで希望がかなえられそうなものが女性の権利平等である。【まず基本的に女より男の方が出来ると思っていない】

男であるが日本の男尊女卑にはずいぶん昔から反感を持っていた。明らかに男尊女卑な有名人とは同じ日本人でいたくないというほどの侮辱をぶつけている。今世界は人権の時代になっている。そんな中で麻生など日本の有力者が男尊女卑で日本の女性の位置は最低に近いだろう。麻生に女性の人権無視の責任を持たせるか。男尊女卑の有名人は相当の数いるので麻生一人で責任を持たなくてもいいだろう。今とんずらをして姿を消しているが森元首相も男尊女卑であった。年を取った政治家は男尊女卑が多いように見受けられる。昔は時代が男尊女卑であったのだろう。麻生も森も昔の人である。というと江戸時代は極端な男尊女卑であったのだろう。産業で女性の働きも目に付く状態であったが女性は全体で弱い立場にいたのか。随分細々と男尊女卑の形が作られている。それでも社会が成り立っていたのだから女卑の部分が薄かったのだろうと推測できる。どれほど薄かったのか数字で示すものは残っていない。現代の薄さはどれほどなのか。なかなか数字には出来ないものなのか。女性の立場は随分薄いように見える。【男と女は同権である】

29のうち27番目はやはり世界最低クラスであるのか。世間に男が居て女がいることは常識、当たり前。そんな中で女性のことをよく見ていなかったと気持ちがざわつく。こういう風に数字で表されると私の心に悔悟の念がわいてくる。確かに中間管理職では女性が大幅に少ない。中間管理職の職がこなせる女性の数が少ない。大体女性の首相が日本にはまだ出ていない。校長先生だとか駅長、自衛隊幹部など少しずつ女性が務めているではないか。自衛隊幹部の女性は見たことないか。会社の課長とか部長などには女性も進出しているのだろう。私は会社の管理職が勤まる女性はいると思っている。政府高官など女性が進出している。数はまだ極小であるが。女性の能力にビジネスをコントロールする力があると確信している。究極トップも男女平等同じ数にならなければ不平等と言われてもいいと思っている。【人権などが世界水準にならなければ世界レベルの仕事はできない】

~特権階級意識では下層国民の気持ちが分からない もともと特権階級と認めていない それでも分からないことは確か~

「増税メガネと言われる理由がようやくわかった 劣化した男の政治家の代表のような男」

阿部讃歌百七十九節四章

【まず基本的に女より男の方が出来ると思っていない】

【男と女は同権である】

【人権などが世界水準にならなければ世界レベルの仕事はできない】

(黙)

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